2016/03/27 | Tweet |
REPORT レポート
子供の頃に憧れたピックアップトラック
1980年代前半はまさに四駆ブーム幕開けの時代。S110シルビア、AE86レビンからEF9シビックを乗り継ぐバリバリのオンロード派だった父が、ある日突然L型パジェロ(ショートの4速MT)に乗って帰ってきた。私はまだ幼稚園に通う少年だったが、あの瞬間を今でも鮮明に覚えている。きっとちょっとへんてこな大きいクルマがやってきたことがよっぽど刺激的だったのだろう。当然のように週末は家族でキャンプに行くようになった。あの頃はまだ四輪駆動車そのもが珍しく、対抗車線を走ってくるクルマがランクルだろうがサファリだろうがジムニーだろうが関係ない。“四駆乗り”という共通点だけで、クラクションを鳴らし片手を上げて笑顔ですれ違うのだ。そんなしぐさをする父の横に乗るのが私のちょっとした誇りだった。
1990年代に入ると街を走る四駆がさらに増え、友達の家にも四駆が並ぶようになった。ディーゼルターボ&AT、そして5ドアの豪華なモデルが続々と登場しファミリーカーの仲間入りを果たしたのである。のちに私の父もランドクルーザー プラド78系に乗りかえることになるのだが、心のどこかでずっと憧れていたのがピックアップトラックという存在だ。すっかり四駆に乗ることが憧れになっていた私は、父の運転するL型パジェロの助手席から、若者グループ(当時の私から見るとだいぶ大人だが)がピックアップの荷台にサーフボードやバギーを積んでワイワイやっている姿を見て「自分も免許をとったら、あーやって遊ぶんだろうなぁ」なんて想像して歳を重ねることを楽しみにしていた。そんな私の目に映っていたクルマはハイラックス・ピックアップだった。もちろん、兄弟車のハイラックスサーフのほうが人気だったし、実用性を考えたらこっちのほうが都合がいいに決まっている。でもあの自由な雰囲気と日本の四駆っぽくないキャラクターが幼き頃の自分にはとてもカッコよく見えたのだ。
5代目ハイラックス | 6代目ハイラックス |
海外では販売され続けているハイラックス
私が社会人になり少し余裕ができた2000年代半ば、当時憧れた無骨なカタチをした四駆はほぼ残っていなかった。しかし、地元のトヨタディーラーに行くとランドクルーザー70とハイラックスだけは、当時の私の記憶のままの姿で販売され続けていた。結局、私は販売終了のアナウンスと同時にランドクルーザー70を買ったのだが、ほぼ同タイミングでハイラックスも日本から姿を消した。
やはりランドクルーザー70と同じように、ハイラックスも海外では販売が継続され、日本においては最後のモデルとなった6代目の後継モデルとして7代目(ハイラックス ヴィーゴ)が登場。トヨタの世界戦略車「IMV シリーズ」のピックアップトラック車種としてラインアップされたのである。これまでと比べて乗用車としてのニーズにも応えるカタチで、高級感と快適性をプラスして新興国向け世界戦略車として世界各国で販売され、ハイラックス ヴィーゴは約11年間愛され続けた。2015年5月、8代目となるハイラックス レボがタイ王国とオーストラリアでデビュー。新開発のフレームを採用し安全性と耐久性を大幅に向上させただけではなく、ディーゼルエンジンは新開発の1GD-FTV(2.8L)と2GD-FTV(2.4L)を導入。LEDヘッドランプや本革シートなどの快適装備が追加されるほか、顔つきもより精悍になり大幅に質感が向上している。
前述した通り、ハイラックス レボは2015年の5月からはタイで販売されているし、何よりタイではピックアップトラックが市民権を得ている。多くの人が乗用車としてピックアップトラックを選び自由に乗っている。TEAM JAOSのクルーたちは、そんな姿を見て昨年のアジアクロスカントリーラリーのゴール直後にチェンマイにあるディーラーのショールーを訪れ、新型のハイラックス レボを初めて見てカタログをもらってきた。今思いかえせばこの時、ハイラックス レボを今年(2016年)の参戦マシンにする計画がスタートした瞬間だったのかもしれない。
4,500km 離れたタイ王国からやってきたNEWマシン
アジアクロスカントリーラリー2015のゴールから約半年が経過した2016年2月、密かに進めていたハイラックス レボの購入を決意。TEAM JAOSのラリーマシンとして最適なボディタイプ、グレードをチョイスして在庫車を確保した。すなわち、アジアクロスカントリーラリー2016のエントリーマシンがハイラックス レボに確定したのである。
直線距離で約4,500kmも離れたタイ王国から船で車両を運び、JAOSに入庫するまでにかかる時間は購入や輸入に関する手続き等を含めると1か月以上。それまでの間、入手できる車両情報をかき集めて、改造プランを検討し協力会社との打ち合わせやスケジュール調整をしてハイラックス レボがやってくるのを待った。
3月24日、とうとうJAOSにハイラックス レボが到着した。この日を一番楽しみにしていたのは今年のドライバーを務める能戸だろう。彼が自らの手でコンテナの封印を解き、エンジンをかけて車両を降ろす。改めて日本でみると想像以上に大きなボディ、今となっては珍しいピックアップトラックというスタイル、すらっと伸びたシャープなフロントフェイス、広くて快適そうな車内、6速もあるシフトレバー・・・ 目に飛び込んでくるものすべてが新鮮だ。これが今年のTEAM JAOSのマシンになることを想像すると興奮せずにはいられなかった。
そして心の中で“おかえりなさい、ハイラックス”とつぶやいた。きっとそう思ったのは私だけではなかったはずだ。
7月中旬に予定されているシッピングから逆算すると、すぐにマシン製作を開始したとしても余裕はほとんど無い。昨年もちょうど1年前の同じ時期にFJクルーザーのモディファイをスタートさせ、塙選手の手によってスピーディにマシン製作が進めれていったがあの時とは状況が大きく違う。今年の参戦マシンとなるハイラックス レボは日本では販売されていない車両のため、純正部品や車両情報が入手しずらくほぼ手さぐりという状況。加えて現状JAOSにはハイラックス レボ用の市販パーツはひとつも存在しないため、アジアクロスカントリーラリーという過酷なステージを走りぬくためにとても重要となるサスペンション(ダンパー、Fコイル&Rリーフ)が新規開発となり、一つ一つの作業が困難となることは明らかだ。しかし、私たちには昨年の参戦で得たデータとノウハウがある。これらをフィードバックしたマシン(HILUX REVO AXCR2016 Ver.)を協力会社様と力を合わせて仕上げることを決意した。